北海高等学校校歌
作詞者の土井 晩翠と当時の北海高校教頭だった戸津高知は共に仙台市北鍛冶町生まれの同郷であった。(晩翠1871年、戸津1872年)晩翠は1888年に第二高等中学校の補充科2年に入学し、戸津は1889年5月に北海道に来るまでの2ヶ月間、同じ補充科に在籍していた。その関係を頼りに校歌の作詞を依頼したと考えられる。
1909年(明治42年)10月の時点で歌詞が完成し、その後間もなく本居長世によって曲が加えられた。
晩翠を通じて東京音楽学校へ作曲が依頼され、当時若手の実力者であった長世が抜擢された。
晩翠と長世の組み合わせは稀で、国内においても極めて貴重な校歌にもなっている。


土井 晩翠
(どい ばんすい)
生没年:明治4年10月23日 〜 昭和27年10月19日
(1871年12月5日 〜 1952年10月19日)
出身地:宮城県
職業・身分:文学者 、 学者(人文科学)
別称:土井林吉(どい(つちい)りんきち
詩人、英文学者。明治27(1894)年帝国大学入学、在学中に『帝国文学』の編集委員となり詩作を始める。32(1899)年処女詩集『天地有情』を刊行、好評を博す。なかでも文部省選定『中学唱歌』に収められた「荒城の月」(1901)はよく知られている(作曲は滝廉太郎)。33(1900)年第二高等学校教授となり帰郷。その後『暁鐘』(1901)、『東海遊子吟』(1906)等を刊行したが、やがて詩壇の主流から離れる。晩年はギリシャ語の原典からの翻訳『イーリアス』(1940)、『オヂュゥセーア』(1942)を残した。昭和25(1950)年文化勲章を受章。

本居 長世
(もとより ながよ)
1885年(明治18年)東京府下谷区御徒町(現:東京都台東区)に生まれる。国学者として著名な本居宣長の和歌山学党6代目に当たる。
1902年(明治35年)東京音楽学校予科に入学。幸田延、アンナ・レール、ラファエル・フォン・ケーベルにピアノを師事した[1]。1908年(明治41年)東京音楽学校本科を首席で卒業、日本の伝統音楽の調査員補助として母校に残る。なお、同期にやはり作曲家となる山田耕筰がいる。
【代表作】
『十五夜お月さん』
『七つの子』
『青い眼の人形』
『赤い靴』
『十五夜お月さん』
『たんぽぽ』
『めえめえ児山羊』
『汽車ぽっぽ』(作詞も本居が手がけた)
『國學院大學校歌』
そして本校校歌
北海高等学校の応援歌
伝統校の所以として応援歌が欠くべからざる存在であろう。北海校においても多分に漏れず、多くの応援歌が残されている。過去には新入生達が運動場の一隅に集められ、「上級生達より校歌・応援歌の歌唱指導を受けた」と語り継がれている。

